アニマルライツの活動家と称するネイサン・ウィノグラードのような人々は、動物の数があまりにも多すぎるという問題の解決方法は、いわゆるノーキル(殺さない)とか、またはリミテッド・アドミッション(受け入れを制限する)とかよばれる動物シェルターであると提唱してきました。しかし、こういうシェルターのしていることには、せいぜいごまかし程度の意味しかありません。ノーキルのシェルターにいる譲渡が無理だと判断された動物たちは、何年間も荷物のように檻に「保管」されるかもしれないのです。彼らは引きこもりや強い鬱状態、そうでなければ攻撃的になってゆきます。そしてそのことが更に、里親に引き取られるチャンスを減らしてゆくのです。檻のない施設なら、常に閉じこめておくという虐待を避けられますが、これも結果的に動物間のケンカや伝染病の広がりを助長してしまうのです。
かつてノーキル・シェルターを運営していたことのあるPETAのスタッフは、檻の中で12年間生きてきたピットブルを見て考えが変わったといいます。その犬は監禁生活のために気が狂ってしまい、一日中檻の両サイドに自分の身体を打ちつけ、係員が世話するのを怖がるほど怒リ続けるようになっていきました。この悲惨な一生を見届けた後、彼女は死よりも悪い生かし方というものが現実にあるのだということに気付いたのです。
ノーキルのシェルター、ノーキルのレスキュー団体は、しばしば自分たちは手いっぱいだと言います。それはつまり、その施設が動物たちを手放すべき状態にあるということです。そこで保護されている動物たちは、いつやってくるかわからない死にさらされています。死を迎えるのがその施設においてではないというだけのことです。ここで想定できる最良のシナリオは、安楽死を行なっている別の施設に移すことでしょう。そうでないと、道端に捨てられ、ペントパルビタール・ナトリウム注射による安楽死よりずっと酷くて恐ろしい死に方をする動物も出てくるのです。ノーキル・シェルターが動物を殺さないということは本当ですが、それは動物が救われるということを意味しません。簡単にいえば、良い家庭はすべての動物に足りるほど多くは存在しない、それどころかシェルターの檻の数さえ十分にはないということです。
また、オープン・アドミッション(制限なく受け入れる)シェルターは、動物たちをとりあえず野良でない安全な状態にしておくことに力を尽くします。しかし動物数が増えすぎていることの犠牲者たちをただ背負い込み、それ以外のやり方を持たないという点で、ノーキル・シェルターと同じです。動物を安楽死させねばならないという醜悪な現実があるのに、そのことよりも、実際に注射器を手にとって安楽死を実行する人々のほうがより嫌悪されるのです。しかし、安楽死は、しばしば、望まれない動物たちにとってこの世を去るための最もやさしく尊厳ある方法となるのです。
PETA 目次 |
PETAについて |
アニマルライツについての妥協なき姿勢 |
1 カゴに入れられた鳥たち |
2 キャッチアンドリリースフィッシング |
3 犬のつなぎ飼い |
4 犬や子犬を檻に入れてしつける |
5 猫の爪を取る手術 |
6 電気ショックを用いた犬の訓練 |
7 安楽死 |
8 野良猫 |
9 命を奪い取る慈善活動 |
10 ノーキルシェルター |
11 外飼いの猫 |
12 いわゆるペット |
13 ピットブルの繁殖禁止 |
14 肉食動物の移住計画 |
15 「信頼できるブリーダー」など存在しない |
16 PETAの戦略 |
17 なぜアニマルライツなのか? |
18 動物園 |
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